URL |
https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/MK041073000001 |
木簡番号 |
0 |
本文 |
{○条々きんせい\○あんぎゃのはう\○かうやひしり\○しゅんれい\○こもかむり\○◇\○こしき\○あきない人\右よろつろ\さい人此旨を\背之輩堅\罪すへき物也\○明徳四八月日\○δ} |
寸法(mm) |
縦 |
91 |
横 |
321 |
厚さ |
6 |
型式番号 |
061
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出典 |
木研41-73頁-(1) |
文字説明 |
二行目は行脚の法(師)、三行目は高野聖、四行目は巡礼、五行目は薦被り、六行目は乞食と考えられ、八行目から九行目にかけての「ろさい」は他人に物を乞うことである。 |
形状 |
(木目方向に対し)上削り、下削り、左割りのまま、右削り。右辺の角斜めに切断。{}内横材。 |
樹種 |
(ヒノキ科ヒノキ属) |
木取り |
柾目 |
遺跡名 |
北方京水遺跡
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所在地 |
岐阜県大垣市北方町二丁目 |
調査主体 |
岐阜県文化財保護センター
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発掘次数 |
 
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遺構番号 |
溝SD9
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地区名 |
MK041073
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内容分類 |
折敷底板
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国郡郷里 |
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人名 |
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和暦 |
明徳4年8月 |
西暦 |
1393(年), 8(月) |
木簡説明 |
折敷の底板を転用したものである。柾目材で、樹種はヒノキ科ヒノキ属。上下両端及び右辺は切削により整えられるが、左辺は割りのままである。右辺の角が斜めに切断されるが、折敷を作る際の加工か、木簡にする際の二次的な加工かは不明である。また、右辺二カ所と上下両端の一カ所ずつに樹皮を巻くための細い孔や樹皮を確認したが、これらもどの段階の加工か不明である。木簡の中央には方形の孔や木目に直交する方向に延びる浮き上がりが表裏両面に確認でき、釘を打ったり挟んだりした掲示の際の痕跡である可能性がある。また、出土時には墨は残存しておらず、文字部分が浮き上がっていることで判読できる状態であった。このような遺存状態から、一定期間以上屋外で掲示されていた可能性がある。文章は仮名文字と漢字によって記される。二行目は行脚の法(師)、三行目は高野聖、四行目は巡礼、五行目は薦被り、六行目は乞食と考えられ、八行目から九行目にかけての「ろさい」は他人に物を乞うことである。一二行目には年号が記されており、明徳四年は一三九三年である。一三行目は花押とみられるが、判読できなかった。近世には当遺跡の南側に中山道が通っているが、中世においても人々の往来があり、その通行人に対して掲示されたものと考えられる。 |