URL |
https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJJCM25000102 |
木簡番号 |
1807 |
本文 |
・○□〈〉□□〈〉/〈〉∥○「〈〉三斗○直稲三束○§持夫一人功食三束」\○「§豊村宮進送稲§」\§六年十二月*八[×一]日~日舂京上米一石五斗○穎卅三束○駄賃十束○同~年~十~二~月~十~八~日~京~上~米~三~石~○穎~六十七束加~舂~功~駄~賃~廿~束~\○§同年十二月廿八日京上米□〔一ヵ〕石□穎廿三束○駄賃□〔七ヵ〕束/○東~□〔殿ヵ〕~内~稲~□〔七ヵ〕~□~□~束~/□∥○§○§・○『□〔櫃ヵ〕□\○□五\○〈〉料』 |
寸法(mm) |
縦 |
840 |
横 |
(51) |
厚さ |
6 |
型式番号 |
081
|
出典 |
藤原宮4-1807(木研5-25頁-(2)・飛7-11(2)) |
文字説明 |
  |
形状 |
上削りヵ、下削り、左欠(割り)、右欠(割り)。 |
樹種 |
針葉樹材A(ヒノキ科)△ |
木取り |
板目 |
遺跡名 |
藤原宮跡西北官衙地区
|
所在地 |
奈良県橿原市縄手町 |
調査主体 |
奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
|
発掘次数 |
藤原宮第36次
|
遺構番号 |
SE3400
|
地区名 |
6AJJCM25
|
内容分類 |
文書
|
国郡郷里 |
  |
人名 |
  |
和暦 |
弘仁6年12月8日・弘仁6年12月18日・弘仁6年12月28日 |
西暦 |
815;815;815(年), 12;12;12(月), 8;18;28(日) |
木簡説明 |
上端削りか、下端削り、左右両辺割り。大型の帳簿木簡。左右両辺にはともに多数の墨痕が認められ、記載はさらに前後に続いていたとみられる。表面は、墨線や丸く囲む形による抹消、訂正、加筆が著しく、あたかも草案かにみえるものの、七箇所にみえる合点が、この帳簿が実際に用いられたものであることを示している。裏面の文字は、再利用前の削り残りとみられ、このほかにも削り残りの墨痕が所々に残されている。なお、表裏面に都合三種類の筆跡が認められるが、いずれも一八〇六と同筆のものは認められない。記載内容は、「六年」十二月の京上(進)米に関するものであり、欠損部分の前後にも記載は続いている。庄園主は、平安京もしくはその周辺に居住していたのであろう。京上米は、十二月八日、十八日、二十八日の記載がみえ、このうち十八日分はほぼ全文が抹消されている。八日分は、穎稲三十三束から舂米一石五斗、二十八日分は、二十三束から舂米一石が得られており、穎稲十束=籾穀一石=舂米五斗の関係からすると、得られた舂米は少ないものの、この束数は、十八日分に「加舂功」とあることからすれば、舂功を加えたものとみられる。舂功は十束で一束程度、京への駄賃は舂米一石で七束程度であった。二十八日分にみえる「東殿」は、庄内の施設とみられ、倉以外の稲の保管施設かと推測される。なお、十八日分は「六十七束」の記載のみを残して抹消し、稲を「豊村宮」に送ったと訂正するとともに、合点を付している。「豊村宮」は、ほかに史料にみえず、その場所や稲を送った理由も詳らかにしえない。 |