URL |
https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AFITC11000427 |
木簡番号 |
1972 |
本文 |
・尼四口朝干飯米二升受物部古万呂◇・○九月廿九日道万呂○◇ |
寸法(mm) |
縦 |
213 |
横 |
19 |
厚さ |
2 |
型式番号 |
011
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出典 |
平城京2-1972(城28-46下・城25-14下(145)) |
文字説明 |
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形状 |
上削り、下削り、左削り、右削り、右辺下部に一部欠損あり。二片接続。 |
樹種 |
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木取り |
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遺跡名 |
平城京左京三条二坊一・二・七・八坪長屋王邸
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所在地 |
奈良県奈良市二条大路南一丁目 |
調査主体 |
奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部
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発掘次数 |
193E
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遺構番号 |
SD4750
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地区名 |
6AFITC11
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内容分類 |
伝票
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国郡郷里 |
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人名 |
物部古万呂・道万呂 |
和暦 |
9月29日 |
西暦 |
9(月), 29(日) |
木簡説明 |
四周削り。右辺下部に一部欠損あり。隣り合う地区から出土した断片が接続。干飯は乾飯・餉に通じ、朝干飯は「あさがれい」であろう。「いかるが」を「伊干我」と記す例があるのも参考になる(兵庫県山垣遺跡出土木簡第五号。木簡学会編『木簡研究』二〇、一九九八年、参照)。平安時代の「あさがれい」は供御の食事を指すが、本木簡は奈良時代においては朝に食する干飯を広く「あさがれい」と称し、その語源が朝廷の軽飯ではなく朝の乾飯であることを示すか。なお、物部古万呂は二条大路木簡には散見するが、長屋王家木簡には他にみえない。隣り合う地区から出土した断片が接続。 |