| URL |
https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6ACCFK22000004 |
| 木簡番号 |
12813 |
| 本文 |
・長谷部内親王所・□○□□□\○□○□○□ |
| 寸法(mm) |
縦 |
(160) |
| 横 |
(19) |
| 厚さ |
8 |
| 型式番号 |
081
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| 出典 |
平城宮7-12813 |
| 文字説明 |
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| 形状 |
上端左断片は二次的切断、右断片は二次的削り。下削り、左削り、二次的割りで一部二次的削り。二片接続。 |
| 樹種 |
ヒノキ科♯ |
| 木取り |
板目 |
| 遺跡名 |
平城宮第一次大極殿院西辺
Heijō Palace (Former Imperial Audience Hall, West Side)
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| 所在地 |
奈良県奈良市佐紀町 |
| 調査主体 |
奈良国立文化財研究所
Nara National Research Institute for Cultural Properties
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| 発掘次数 |
28
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| 遺構番号 |
SD3825BorSD3825C
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| 地区名 |
6ACCFK22
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| 内容分類 |
文書
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| 国郡郷里 |
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| 人名 |
長谷部内親王 |
| 和暦 |
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| 西暦 |
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| 遺構の年代観 |
710-790 |
| 木簡説明 |
上端の左断片は二次的切断、右断片は二次的削り、下端・左辺削り、右辺二次的割りで一部二次的削り。裏面の文字が欠けることからすれば、さらに幅の広い木簡であった。長谷部内親王(泊瀬部皇女)は天武天皇の娘で、霊亀元年(七一五)正月に四品とみえ(『続日本紀』同月甲午条)、天平九年(七三七)二月に三品に昇り(『続日本紀』同月戊午条)、天平十三年(七四一)三月没(『続日本紀』同月己酉条)。長谷部内親王を記す木簡は、帳内の考選木簡と思われる削屑が二点(『平城宮木簡六』八八三〇・八八三一)、性格は不詳だが「長谷部内親王」と記した削屑が一点(『平城木簡概報』三十―一九頁下)出土している。「長谷部内親王所」は、内親王宮である居宅か、あるいは宮を造営するために設置された「所」のいずれかであろう。(内)親王+所と記された木簡の事例として、長岡京跡左京一条三坊六・十一町(左京二〇三次調査)から出土した「酒人内親王所」と書かれたと思われる削屑がある。調査地は、遺跡の立地や木簡の記載内容から、長岡京の造営に伴なう物資の陸揚げ地・集積地・加工場と解されており、「酒人内親王所」はここから材木の供給をうけた先と理解される(『長岡京左京出土木簡一』三六四〜三六八、三七〇。橋本義則「長岡宮内裏考」『長岡京古文化論叢』Ⅱ、三星出版、一九九二年)。二地区にまたがって接続。 |
| DOI |
http://doi.org/10.24484/mokkanko.6ACCFK22000004
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