| URL |
https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AAFOD39000003 |
| 木簡番号 |
2715 |
| 本文 |
但馬国養父郡袁左郷赤米五斗/村長語部廣麻呂/天平勝寶七歳五月∥ |
| 寸法(mm) |
縦 |
277 |
| 横 |
26 |
| 厚さ |
6 |
| 型式番号 |
031
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| 出典 |
但馬集成50頁-(433),木研4-92頁-13(1)( 平城宮2-2715・日本古代木簡選・城3-11下(198)) |
| 文字説明 |
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| 形状 |
上削り、下削り、左削り、右削り。 |
| 樹種 |
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| 木取り |
板目 |
| 遺跡名 |
平城宮東院地区西辺
Heijō Palace (East Palace Sector, West Side)
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| 所在地 |
奈良県奈良市佐紀町 |
| 調査主体 |
奈良国立文化財研究所
Nara National Research Institute for Cultural Properties
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| 発掘次数 |
22S
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| 遺構番号 |
SK3265
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| 地区名 |
6AAFOD39
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| 内容分類 |
荷札
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| 国郡郷里 |
但馬国養父郡遠佐郷 |
| 人名 |
語部廣麻呂 |
| 和暦 |
天平勝宝7年5月 |
| 西暦 |
755(年), 5(月) |
| 遺構の年代観 |
710-790 |
| 木簡説明 |
四周削り。板目。養父郡からの赤米の荷札。天平勝宝7歳は755年。「養父郡袁左郷」は、『和名抄』の養父郡遠佐郷にあたる。「袁」の音は「ヲ」。「赤米」は、玄米の種皮の部分に赤色系色素を含んだ米(嵐嘉一『日本赤米考』雄山閣出版、1974年)。いわゆる有色米のうち、アントシアニン系で黒色に近い紫黒米と、タンニン系の赤米は別種のものと解されている(小川正巳・猪谷富雄『赤米の博物誌』大学教育出版、2008年)。木簡における初見は、奈良県飛鳥京跡苑池遺構出土の「戊寅年」(天武天皇7年・678)の紀年をもつ尾張国海評の荷札で(『飛鳥宮跡出土木簡』147-19号)、天平6年(734)尾張国正税収納帳によると、「納大炊寮酒料赤米弐伯伍拾玖斛」とみえ、酒料として赤米を納めている(正倉院文書正集第15巻第9紙・『大日古』一608)。但馬のほか、尾張、三河、美濃、越前、丹波、丹後、播磨の荷札が知られる。「村長語部廣麻呂」は、徴収責任者として署名したものであろう。群書類従本『日本霊異記』訓釈に「村童 左斗和良波部」とみえ(下巻第29縁)、「村」にサトの訓があることが確認される。郷里制の廃止後において、「サト」は、「里」「村」「郷」のどの字を当ててもさしつかえはなく、「村長」は「サトノヲサ」であるか、それでなければ「郷家」がある「村」の長であると指摘されている(山尾幸久「古代日本の「家」と「村」」『日本古代国家と土地所有』吉川弘文館、2003年)。郷長と村長が通用する事例に、備前国津高郡津高郷の「郷長寺広床」を(宝亀5年(774)11月23日備前国津高郡菟垣村常地畠売買券。東京帝国大学図書館旧蔵文書・『大日古』六577)、「村長寺広床」と記した事例がある(宝亀7年12月11日備前国津高郡津高郷陸田売買券。唐招提寺文書天之巻3号・『大日古』六592)。語部は木簡64参照(但馬集成13頁-(64))。但馬国分寺跡の「語×」(木簡105(但馬集成18頁-(105))もあるいは語部か。平城宮跡(第22次調査南区)SK3265出土。(以上、但馬集成より)。老佐郷は『和名抄』では遠佐に作る。米の付札の記載様式には、「其郷某人某米」と貢進者を表わすものもあるが、「某郷(里)某米」の例が多い。この付札の場合、記載様式としては後者に属し、村長語部広麻呂は収納責任者として名を表わしたものであろう。村長は『続日本紀』天平宝字元年七月戊午条、宝亀七年一二月の唐招堤寺文書(大日本古文書六-五九二、唐招堤寺史料一-三号)などにみえる。 |
| DOI |
http://doi.org/10.24484/mokkanko.6AAFOD39000003
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