URL |
https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AAFKQ34000014 |
木簡番号 |
2843 |
本文 |
・/○/←病二人/←見十三人∥○/男□□〔万呂ヵ〕/黒金//逃∥/五百嶋//已上*一[×二]人菅原∥∥○/万呂//薪∥/犬万呂//薪∥/少咋//薪∥∥○/○刀佩//逃∥/良否万呂/奴飯万呂//盛∥∥○/○/稲人//病∥/殿万呂//内舎□→∥∥・←□原採杭材遣○盛一束○天平勝寶八歳十一月九日上野豊浜 |
寸法(mm) |
縦 |
(328) |
横 |
(33) |
厚さ |
5 |
型式番号 |
019
|
出典 |
木研4-93頁-19(1)(平城宮2-2843・城3-10下(189)) |
文字説明 |
  |
形状 |
上欠、下欠、右欠。左辺上部は割れ。 |
樹種 |
  |
木取り |
  |
遺跡名 |
平城宮東院地区西辺
|
所在地 |
奈良県奈良市佐紀町 |
調査主体 |
奈良国立文化財研究所
|
発掘次数 |
22S
|
遺構番号 |
SD3113
|
地区名 |
6AAFKQ34
|
内容分類 |
文書
|
国郡郷里 |
大和国添下郡菅原郷 |
人名 |
男(万呂)・黒金・五百嶋・万呂・犬万呂・少咋・刀佩・否万呂・飯万呂・稲人・殿万呂・上野豊浜 |
和暦 |
天平勝宝8年11月9日 |
西暦 |
756(年), 11(月), 9(日) |
木簡説明 |
上下・左欠。某原では杭材を採る仕事のわりあてを記したものであろう。「病二人見十三人」とあるもののうち名前のみえるのは一一名であるから、他の四名は欠損部分にあったらしい。「薪」と注記のあるものは、採薪にあてられたものか。正倉院文書には仕丁が採薪にあたったことが散見する(一九八〇参照)。菅原は地名か。菅原は現在の奈良市西郊一帯をいう(岸俊男「習宜の別業」『日本古代政治史研究』所収)。「巳上一人菅原」が、一人が菅原にいることを示す注記とすれば、杭材を採取する某原は「菅原」であることも考えられる。 |