URL |
https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/5BYDLP21001461 |
木簡番号 |
1461 |
本文 |
・{○←六年四月廿→\○□論疏記\○□□四巻\○〈〉\○〈〉\○〈〉\○〈〉\○←勝寶□\○〈〉応□□→\○□六年四月\○延勝\○□順\○令□〔基ヵ〕\○□□〔備ヵ〕\○〈〉\○□四月廿二日借\○□□法□\○上坐延勝\○寺主□□\○都維那仁憲\元興寺□□令□\金剛般若経三巻\〈〉\○〈〉\○〈〉\○〈〉\○〈〉\○□薬師経□巻\○〈〉\○□○□坐延□〔勝ヵ〕\○□○□\○〈〉\〈〉\〈〉\〈〉\〈〉\〈〉○□\〈〉\〈〉\〈〉\〈〉○〈〉\〈〉○□\○□\○□\○□\○〈〉\○〈〉\○〈〉}・{○←□〔部ヵ〕二巻□…□□□〔寶四年ヵ〕\○←勝寶八歳□月廿八日〈〉\○←□〔坐ヵ〕延勝\【○〈〉○経□\○\○□□□〔堂司ヵ〕\○□□\○唯識○□巻借\○←勝寶六→\○瑜伽論菩薩地十→\○文徳御宣\○天平勝寶→\○※\○\○法花経一部○/巻/□∥□\○□下□〔二ヵ〕□□○□\○※瑜伽論一部○※顕□\○※○□○□\○※仏地論一部○※雑→\○解深密経疏一部\○寶亀七年十一→\※○成業論一巻大毘婆→\○順正理論□□□〔唯ヵ〕□\※○顕宗論一部○□□□\※○寶亀七年正月\○〈〉\○\○法花経□〔第ヵ〕一巻又□\○\○□□〔受定ヵ〕□沙弥\○天平→\○〈〉】} |
寸法(mm) |
縦 |
(1215) |
横 |
(107) |
厚さ |
3 |
型式番号 |
081
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出典 |
◎飛鳥藤原京1-1461(木研26-250頁-5(2)・山田寺203頁-(11)・木研13-20頁-(4)・飛10-10(24)) |
文字説明 |
裏面「疏」は異体字「䟽」。 |
形状 |
上左右欠、削り残し文字あり。{}内横材。 |
樹種 |
檜 |
木取り |
板目 |
遺跡名 |
山田寺跡
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所在地 |
奈良県桜井市山田 |
調査主体 |
奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
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発掘次数 |
山田寺第8次
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遺構番号 |
SD664B
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地区名 |
5BYDLP21
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内容分類 |
文書
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国郡郷里 |
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人名 |
延勝・□順・令(基)・□(備)・仁憲・令□・文徳 |
和暦 |
(6年4月2*日)・(6年4月)・4月22日・(天平勝宝4年)・(天平勝宝8年*月28日)・宝亀7年1月・宝亀7年11月・(天平勝宝6年) |
西暦 |
(*);(*);(752);756;776;776;(754)(年), 4;4;4;(*);1;11(月), (2*);22;28(日) |
木簡説明 |
三十一片接続。大型の横材木簡。下端削り、上端折れ、左右両辺割れ。煩雑になるため別筆表示はしなかったが、多くの筆により書き継がれている。記載は大きく五つに分けられる。第一は、表面全部と天地逆になっている裏面の下端三行からなる。第二から第五は裏面の残りの部分からなり、上端から順に、第二は一行目の「〈〉○経□」まで、第三はその次の「天平勝寶→」まで、第四はその次の「寶亀七年正月」まで、第五は第一の直前までとなる。第一の記載には「(天平)勝寶八歳」(七五六)の年紀がみえる。他に「←勝寶□」「←寶四年」や「←六年」があり、天平勝宝年間の可能性がある。第三の記載には「(天平)勝寶六」(七五四)および「天平勝寶」の二つ、第四の記載には「寶亀七年」(七七六)が二箇所、第五の記載には「天平→」がみえる。本木簡には日付と経典名・僧侶名が列挙され、「借」「受」などの語句も認められることから、一四六〇号と同じく経典の貸し出しに関わる記録と考えてよかろう。ただし、三綱の職名である「上座」「寺主」「都維那」およびその自著がみられることから、より改まった場、たとえば一四六二号のように「検定」の際に用いられた可能性がある。上座は三箇所(推定も含む)にみえるが、いずれも「延勝」で共通する。文字を削り取った痕跡や、文字を阻んで抹消した部分も存在し、それらは返却されたことを意味しよう。木簡から判明する経典は、法相宗の唯識関係のものが多い。表面の「寺主」の次は「豊」「霊」などの可能性がある。裏面の「文徳御宣」について、一文字目は「大」、四文字目は「室」の可能性が指摘されてきたが、そのようには読みがたい。なお、第三の記載の冒頭には「□堂司」がみえ、経典の貸借に関係していた官司であることがわかるが、一四五六号の「経論司」との関連で注目される。長期に渡り表面を削り使用。裏面「天平勝寶」の次行に墨線あり。「瑜伽論~から仏地論~」、「成業論~から寶亀七年~」を墨線で囲む。 |