URL |
https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/5BYDLP21001460 |
木簡番号 |
1460 |
本文 |
・/←疏一部○判比量論一巻/○弘仁二年十一月十六日充義勝∥○□十一月廿七日下持成○※○/□〔入ヵ〕□□□一□〔巻ヵ〕/○目代光厳∥主録□□\○□一巻借慈忠○知倉人乙人○※/大同二年十一月廿六日下唯識論疏十四巻○側法師之/○受義勝○知倉人持成∥○/□□□□□〔成業論一巻ヵ〕○〈〉/□〔宗ヵ〕輪論一□〔巻ヵ〕○〈〉∥・○/□□○〈〉□□〔六巻ヵ〕〈〉四月十四日〈〉○〈〉/○〈〉○※法花経□□〔一部ヵ〕〈〉○知義勝∥○□○論廿八巻/※○大十一/旦上十七□/八月十三日〈〉∥○□慈忠禅 |
寸法(mm) |
縦 |
(835) |
横 |
(86) |
厚さ |
4 |
型式番号 |
081
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出典 |
◎飛鳥藤原京1-1460(木研26-250頁-5(1)・山田寺202頁-(10)・木研13-19頁-(3)・飛10-9(23)) |
文字説明 |
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形状 |
7片接合、上欠、右欠。左辺下端から約51㎝の箇所に切り込みあり。 |
樹種 |
檜 |
木取り |
板目 |
遺跡名 |
山田寺跡
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所在地 |
奈良県桜井市山田 |
調査主体 |
奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
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発掘次数 |
山田寺第8次
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遺構番号 |
SD664B
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地区名 |
5BYDLP21
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内容分類 |
倉札
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国郡郷里 |
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人名 |
義勝・乙人・光厳・持成・慈忠・側法 |
和暦 |
弘仁2年11月16日・11月27日・大同2年11月26日・4月14日・8月13日 |
西暦 |
811;807(年), 11;11;11;4;8(月), 16;27;26;14;13(日) |
木簡説明 |
七片接続。下端・左辺削り、上端折れ、右辺割れ。極めて大型の帳簿木簡で、一種の倉札である。左辺には下端から五一㎝の位置に三角形の切り込みをもち、柱のようなものに括り付けた可能性がある。煩雑になるため別筆表示はしなかったが、多くの筆により書き継がれている。表面は内容から六つに分けられ、いずれも経典の貸し出し記録であろう。第一は右上の二行で、弘仁二年(八一一)十一月十六日に某疏と判比量論を義勝に貸し出したことを記す。第二はその下で、某経(右辺の欠損部に記載があったか)を十一月二十七日に持成に貸し出したことを記す。第三はその左の一行で、某経を慈忠に貸し出し、その責任者が乙人であったことを記す。第四は中央右寄りの二行で、某経に関わって目代光厳と主録某がみえる。一行目は某経に関わる記載と推定されるが、六文字目「巻」は「合」など別字の可能性もあり、さらに検討を要する。一文字目「入」も「八」「九」「大」などの可能性がある。二文字目は「漆」の可能性がある。第五はその左二行で、大同二年(八〇七)十一月二十六日に、唐の側法師(円側)による唯識論疏を義勝に貸し出し、その責任者が持成であったことを記す。第六は下端の二行で、成業論・宗輪論に関わる記載である。第一から第六の記載には「充」「下」「借」「受」など多様な表記がみえるが、いずれも貸し出しやそれにともなう受領に関わる表現である。大同二年の記載よりも弘仁十一年の記載が上になるという変則的な配列は、長期間にわたって表面を削りながら使用され続けた結果によるものであろう。第二の記載と第四の記載の間には斜め方向の墨線が入り、第五の記載の右側を囲むように墨線がめぐる。これらは文章の区切りや抹消を示すものとみられる。裏面も同様の記載からなると推測されるが、全体的に墨痕の残りが悪く、やや不明瞭である。「大十一」の上の墨線は合点であろう。表裏には義勝・持成・慈忠という僧名が二ないし三度ずつみえる。 |