URL |
https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/5AKAWN23000067 |
木簡番号 |
67 |
本文 |
石川宮鉄 |
寸法(mm) |
縦 |
(89) |
横 |
(18) |
厚さ |
2 |
型式番号 |
081
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出典 |
飛鳥藤原京1-67(飛11-13上(23)・木研14-30頁-(3)) |
文字説明 |
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形状 |
上削り、下欠(折れ)、左やや割れ、右やや割れ、上端圭頭形。 |
樹種 |
ヒノキ科# |
木取り |
追柾目 |
遺跡名 |
飛鳥池遺跡南地区
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所在地 |
奈良県高市郡明日香村大字飛鳥 |
調査主体 |
奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部・明日香村教育委員会
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発掘次数 |
飛鳥寺1991-1次
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遺構番号 |
SX1222粗炭層
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地区名 |
5AKAWN23
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内容分類 |
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国郡郷里 |
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人名 |
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和暦 |
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西暦 |
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木簡説明 |
上端削り、下端折れ、左右両辺やや割れ。上端は圭頭形。同じ水溜から「石河宮」と書かれた大和産の土師器鍋も出土している。時期は若干下るが、藤原京跡左京七条一坊西南坪から大宝二年(七〇ニ)銘の「石川宮」と記す文書木簡が出土している(『藤原木簡概報十六』三号。四・五号も参照。「石川宮」は、蘇我馬子の「石川宅」(『日本書紀』敏達十三年是歳条)のあった大和国髙市郡の石川(現橿原市石川町)に所在した宮殿の可能性がある。なお、壬申の乱では大海人皇子方につき(『日本書紀』天武元年六月甲申条、同丙戌条)、播磨総領(『播磨国風土記』揖保郡広山里項)となった石川王も知られるが、天武八年(六七九)に吉備大宰として任地で死亡しているので(『日本書紀』同年三月己丑条)、時期的にやや問題を残す。 |