| URL |
https://mokkanko.nabunken.go.jp/cnk/MK031046000214 |
| 木简编号 |
0 |
| 正文 |
・額太部□〔全ヵ〕主鐸太陳如東方主□〔之ヵ〕\懸鼓言願此心早速召請□〔金ヵ〕・□□太麻呂薦薦金見部宮継\金見部\生王〔壬〕公宮継□〔成ヵ〕公草員宮継継桑 |
| 大小(mm) |
长度 |
(199) |
| 宽度 |
46 |
| 厚度 |
3 |
| 外形编号 |
019
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| 出典 |
但馬集成28頁-(192),木研31-46頁-2(14) |
| 文字解说 |
表面「鼓」は異体字「皷」。表面「漢籍」の一部。 |
| 形状 |
上削り、下二次的切断ヵ、左削り、右削り。 |
| 树种 |
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| 木纹 |
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| 遗迹名称 |
祢布ヶ森遺跡
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| 所在地 |
兵庫県豊岡市日高町祢布 |
| 调查机关 |
豊岡市教育委員会
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| 发掘次数 |
41
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| 遗构编号 |
SX250
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| 地区名称 |
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| 内容分类 |
習書
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| 国郡乡里 |
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| 人名 |
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| 日本纪年 |
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| 公历 |
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| 遗迹的推定年代 |
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| 木简解说 |
上端・左右両辺削り、下端二次的切断。表面は漢籍の習書か、裏面は、人名とそれに関わる習書であろう。多田伊織によると、表面は呪禁の可能性が指摘される。表面は、最初に「・・・額太部全主・・・太陳懸鼓言願此心」と記され、次いで「如東方主之・・・早速召請」が書き足されたとする(多田は、後者を別筆と指摘する)。「懸鼓」は五経に散見する言葉で、『儀礼』大射では「建鼓」。もとは、木に鼓を吊るしたもので、のちに日の出もしくは日の入りの太陽の様子を表す表現となった。呪禁での用例は、『千金翼方』(唐・孫思邈)に懸鼓を日の出の太陽に喩える呪禁がみえる。「東方主之」「東方主」を含む呪禁は、唐代頃の成立という『赤松子章暦』巻3「断瘟毒疫章」に「願東方主斗成主絶青瘟・・・」が知られ、「東方は~を主る」という文言は、『五行大義』(隋・蕭吉)の「東方主春、象日之明」をはじめ、陰陽五行説に関説する書物では珍しくない。ただし、本木簡の書き手が参照した典籍は不明である(多田「祢布ヶ森遺跡出土『詩経木簡』をめぐって」前掲)。裏面の人名は、額田部は木簡17(但馬集成5頁-17)、金見部は木簡105(但馬集成18頁-105)・木簡107(但馬集成19頁-107)参照。「生王公」は壬生か。壬生氏は木簡20(但馬集成6頁-20)参照。壬生部公氏は『新撰姓氏録』未定雑姓河内国にみえ、その多くは上野国が本貫という(『日本後紀』弘仁4年(813)2月丁酉条、『日本三代実録』貞観12年(870)8月15日乙未条など)。 |
| DOI |
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| 图像使用条件 |
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